「事例インタビュー」は、気象データを実際に活用されている企業様等へのインタビュー記事です。
~漁業分野での気象データ活用~ ベテラン漁師の分身をつくる「トリトンの矛」
水産業のための漁業者支援サービス「トリトンの矛」は、長年蓄積されたベテラン漁業者の経験や技術、勘をデータ化することで、効率的かつ、生産性の高い漁業の実現と、若手漁師さんへのスムーズな技術継承を目的としたサービスです。 過去の操業日誌データと海洋気象情報によるAI解析を行うことにより、 ピンポイント漁場提案を行うことができます。 (※1)
※1 オーシャンソリューションテクノロジー株式会社 「サービス紹介」 ページより引用
https://www.ocean5.co.jp/service/(閲覧日:2023年8月18日)
データ利活用事例インタビュー企画第2回は、「トリトンの矛」を手掛けるオーシャンソリューションテクノロジー株式会社の代表取締役 水上陽介様にお越しいただき、「トリトンの矛」を始めたきっかけや、サービス構築までの流れ、データ分析の方法などについてお話を伺いました。
●本日はインタビューをお受けいただきありがとうございます。初めに、水上様とオーシャンソリューションテクノロジー株式会社様について、簡単に自己紹介をお願いします。
【水上様】
もともと、佐世保航海測器社という会社を営んでいました。昭和25年の創業で、航海光学計器の整備・保守などを70年以上続けている会社です。会社を続ける中で、「漁師の経験を次世代に継承することが難しくなっている」という水産業界の課題を知り、我々が支援できる部分を手掛けることにしました。それがオーシャンソリューションテクノロジー株式会社の始まりです。
オーシャンソリューションテクノロジーでは、「この国を守る人を守り続ける」という企業理念を掲げました。漁業者やその他の一次産業の従事者は、食料安全保障という観点で日本の基盤を支える重要な存在です。それらの人々を守るのが我々の役目だと考えています。
●その理念をもとにつくられた「トリトンの矛」サービスについて教えてください。どのようなサービスで、どのように課題を解決することを目指しているのでしょうか。
【水上様】:
地域の漁業には、「高齢化によって、漁師の皆様が退職するとその経験や知識が途絶えてしまう」という課題があり、この状況を放置しておくと地域の水産文化そのものが消えてしまう可能性があります。
そこで私たちは、漁師の経験や知識をデータとして保存し、新たに漁師になりたいと考える方々に提供することで、この問題を解決しようと考えました。「トリトンの矛」というサービスは、ベテラン漁師が引退した後でも、その経験や知識を得ることができるよう「ベテラン漁師の分身をつくる」というものです。
水産に携わっていない人たちにとっては想像が難しいかもしれませんが、漁において燃料コストは大きな負担であり、「今日ここに行こうと思ったけど、潮の状況が悪そうだから他の場所に行く」などのように、適切に出漁判断やルート選定ができることは大変重要です。例えば和歌山の漁業者の場合、比較的規模の小さい漁でも、一回の燃料代に20万円程かかります。年間80回出漁して、うち35回が不漁だった場合、燃料代だけで年間700万円の損失になります。そうした損失を削減するため、ベテラン漁師の経験や知識を次の世代につなぐことは大変価値のあることなのです。
このサービスは、大きく以下の二つの機能からできています。
①漁師の活動データを電子的かつ体系的に収集・報告すること。
②漁師の操業戦略立案のサポートが出来ること。
①は、これまでばらばらに扱われてきた操業情報を体系化するもので、まずはここから手がけました。②は、出漁の判断の材料になるデータや、各種データを組み合わせることで、出漁判断などに関する「ベテランの勘」を提供するものです。
蓄積されていく①のデータをもとに可視化を通じて②をサポートし、ベテラン漁師の判断を再現する。これが我々のサービスとなります。
「①操業情報の体系化」イメージ
「②出漁の判断の材料になるデータ」イメージ
●まずはデータ収集から始まったのですね。①で収集する「漁師の活動データ」とはどのようなものでしょうか。
【水上様】:
大きくは、操業日時や位置情報などを漁師が自ら記録する「操業情報」と、水揚げされた漁港で記録される漁獲種やサイズ、漁獲量などの「水揚げ情報」となります。これらの情報は、漁師の出漁判断の基礎データになるだけではなく、水産資源評価にも利用されるなど、国や研究機関にとっても非常に重要な情報です。
しかし、沿岸で漁を行っている個人事業主の漁師たちは、操業情報をしっかりと記録する余裕がない場合も多く、また記録をつけていても手書きの乱雑な状態のものもあるといった状況で、データを正確に収集するのは難しいことでした。これを電子化、一元化しようというのが①の取り組みです。
「手書き操業日誌の電子化」イメージ
●データ収集の過程で、苦労された点などあれば教えてください。
【水上様】:
操業情報の入力アプリケーションは、漁師たちへのヒアリングに基づいて作り上げたものでしたが、2021年に和歌山県で行った実証実験(※2)の結果は残念なものでした。実験ということもあり、情報の入力に対して報酬を支払ったにも関わらず、40%の人しか情報を入力してくれず、二度とやりたくないという人まで出てくる状況でした。水に濡れた手で普段使い慣れないタブレットを操作するという作業は大きなハードルとなっていたのです。
このため、アプリケーションのつくりを「漁師が簡単に入力できる」ものから「全ての情報を自動で取得する」ものへ切り替えるとともに、漁師がサービスを使うインセンティブを提供するため、衛星データなど、出漁判断の参考になる情報が見られるように改良しました。
改良したシステムでは、漁船の動きなどから操業位置を推定し、どこで誰が何をしているかという情報を完全に自動で取得できるようになりました。漁師さんは日常の業務を何も変えずに港に戻るだけで、30分後には自動的に操業日誌が作成される、といった形です。2022年に改良版をリリースし、9月からサービスを開始しました。
※2 2020年度「課題解決に向けた先進的な衛星リモートセンシングデータ利用モデル実証プロジェクト」
●データを集めるまでにもさまざまな工夫があったのですね。集めたデータはどのように活用したのでしょうか。
【水上様】
改良版のアプリでは、完全な操業情報を取得できるようになったため、漁獲情報や気象データなどと組み合わせることで様々な分析が可能となりました。
結果のうち、個人的に興味深かったのは、漁獲量に月齢が与える影響が大きかったことです。新月のときには、満月のときと比べて漁獲量が4倍から5倍程度に増えることがわかりました。月の光が強いと、集魚灯への魚の集まりが悪くなり、漁獲量が大幅に減少することが原因のようです。
また、海流の情報も重要です。南北方向と東西方向の海流データを用いて分析したところ、50日前の特定の地点の海流の情報が、漁獲量と相関があることがわかりました。
●月齢や50日前の海流の情報などが漁獲量に影響するという分析結果が得られたとのことですが、この結果を直感的に想像するのは難しいと感じました。どのように仮説を立てたのでしょうか。また、分析していく中で苦労した部分があれば教えてください。
【水上様】
仮説を立てるにあたり、漁師たちとの会話からヒントをいただいたものも多くあります。月の光が漁獲量に影響を与えるというのは、実は漁師の中では割と有名な話で、実際に満月の時には、漁獲量が下がるために休業する漁師もいます。海流のデータについても、漁師たちの間では「何日前にここがこんな状況だったら、何日後にあそこに魚が集まる」というような不思議な経験則が存在します。先ほど紹介した分析結果は、こういった漁師の経験や勘をもう少し具体的な言葉にしたものと言えるのかもしれません。
ただ、ひとくちに「漁師の経験と勘」といっても、潮流を重視する人や天候を重視する人など、考え方は漁師の数だけあって、またそれら全てがデータと相関があるわけではありません。やはり実際にやってみないとわからない部分も多く、面白いと同時に大変な部分でもあります。
●まさに「漁師の経験と勘」を紐解いているのですね。利用者からの反応はどうでしょうか。
【水上様】
サービス全体として好評をいただいていますが、やはり「ベテラン漁師の判断を提供する」部分については、一部の方から懐疑的な反応がありました。長年にわたって培ってきた自らの経験と知識を、AI(人工知能)が代替できるとなかなか思えないのは当然だと思います。
その一方で、「AIが推奨した地点に行ったら思った以上の結果が得られた」という声も頂くことができ、AIとの協働で漁獲効率の向上が実感できたというフィードバックもありました。特に若手漁師からの反応は非常にポジティブで、新しい技術を積極的に受け入れてくれています。若手以外からも「AIが示す漁場の候補地と自分の意見が一致したときに安心する」といったような意見や、「今回は俺の方がAIに勝ったよ」と嬉しそうに感想をいただくこともあり、「トリトンの矛」の精度に一定の信頼を寄せてくれている証だと思っています。
●データ分析はどのような体制で行っているのでしょうか。
【水上様】
鹿児島大学の先生と共同研究契約を結んで協力して行っています。弊社が必要なデータを用意し、大学側で研究・分析を行い、得られた結果を使って弊社がシステム開発会社にアプリケーションを発注し、社会実装を進めていく、というのが大きな流れです。とはいえ実際には、弊社から分析のアイデアを提案したり、大学側にも漁師へのヒアリングに同席いただいたりなど、しっかりと意思疎通して分析を進めています。
●利用しているデータについて教えてください。
【水上様】
データは、利用者の出漁判断の材料として使います。衛星データのように、操業データと重ね合わせてそのまま提供するものもあれば、漁師の活動データにかけあわせて出漁判断に利用しているものもあります。
事業者から購入している気象に関連するデータとしては、風向や風速、海の深さ毎の水温、海流の速度などの過去データや予測データがあります。衛星データや波浪のデータは、気象業務支援センターなどから気象庁のデータを購入しています。このほかにも、月齢など、いろいろなデータを活用しています。
活用しているデータ 1. 日本沿岸海況監視予測システム関連データ(風向、風速、気圧等) 2. メソ数値予報モデルデータ(海の深さ毎の水温、海流の速度等) 3. 赤潮関連情報(赤潮注意報・警報・情報、沿岸海域水質・赤潮観測情報、等) 4. その他(月齢等、独自の知見に基づくデータ) |
●「トリトンの矛」の今後の展望はどのようなものでしょうか。
【水上様】
特許に関わる部分もあり詳細は控えますが、大きなテーマは「より多角的な視点から漁獲をサポートすること」です。魚種別の行動パターンなど、より多くの要素を考慮に入れたり、地域ごとのカスタマイズも研究していきたいと考えています。
●データ集めから分析、社会実装まで全てを手探りで進められてきたオーシャンソリューションテクノロジー様から、これからデータ活用を進めていく企業に対して、アドバイスをお願いします。
【水上様】
研究成果を社会に実装する際によく目にするのが、求める精度が高すぎて、結果的に実装に至らないケースです。開発段階から完璧なものを目指すと、分析や研究のハードルが高くなってしまいます。しかし、利用者の立場から見れば、予測が60%当たるだけで大いに役立つ場合もあります。100%を目指す研究的なアプローチと、60%を目指す実用的なアプローチの考え方の違いを理解して目標を決めることが大切だと考えています。
今回の例で言うと、「50日前の海流と漁獲量に相関がある」という情報は、実は科学的な因果関係は明らかになっていません。このような場合、継続的な調査で因果関係を明らかにしてから実装するという手順を踏みがちですが、現場によっては「因果関係はわからずとも傾向は言えそうだ」という情報だけでも十分役に立つ場合もあります。
まずは情報を提供して、並行して精度を上げていけばいい。そうした感覚を取り入れることで、民間の事業者がもっと気軽にデータ利用に取り組んでみようと考えるきっかけになるのではないかと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
本記事が、みなさまの気象ビジネスの発展等につながりますと幸いです。
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